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東京高等裁判所 昭和28年(う)1844号 判決 1953年9月21日

控訴人 原審弁護人 安藤国次

被告人 小沼秋男

弁護人 安藤国次

検察官 野中光治

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、末尾添付の弁護人安藤国次作成名義の控訴趣意書と題する書面に記載してあるとおりであるが、これに対して当裁判所は左のとおり判断をする。

論旨第一点。

然しながら、刑法第百六十二条第一項所定の有価証券偽造の罪の成立するには、偽造の手形を真正の手形として使用する目的あるをもつて足り、必ずしも手形本来の効用に従い、これを転々流通させる目的あることを必要としないのみならず、手形法第七十五条各号所定の手形の記載要件事項の孰れかを欠くがため、本来の手形としての効用を有しないものと雖も、これに特に個人保証の事実あると否とを問わず、慣習法上はいわゆる白地手形として裏書による移転が認められており、たとえ、それが、右要件事項欠缺の後日補充せらるべきことを予定して作成されたのではない、いわゆる不完全手形に属する場合と雖も、その経済的用法上一般人をして真正なものと誤信させる充分な理由があるから、苟くもその作成者の意思において行使の目的ある以上、権限なくしてその作成名義を偽り作成した事実ある限り、その作成者は、有価証券の公的信用の保護を目的とする刑法第百六十二条第一項所定の有価証券偽造の罪責を免かれ得べき限りではない。なるほど、被告人は、本件手形を本来の効用に従い転々流通させる目的はなかつたし、また、これが手形の中には、支払を受くる者又はこれを受くる者を指図する者の氏名の記載を欠いたものがあり、且つ、被告人においてこれが欠缺の後日における補充を予定したものでないことも窺い得られないわけではないけれども、被告人は、敢て上司に諮るところなく、恣意をもつて千葉県漁業協同組合連合会において販売すべく、原判示吉野功を通じその入手方を企てた米国輸入の中古衣料が第三者の許に担保として差し入れてあり、これを引き出すには、是非とも右連合会においてこれが品物を取り扱かうものであることの裏付として同連合会振出名義の約束手形をその第三者に呈示する必要ある旨の吉野功の言を信じ、これが目的に供するため、無権限に、同連合会会長庄司政吉名義のゴム印及び同会長の職員等を約束手形用紙に使用押捺して原判示各金額を額面とする同会長名義の約束手形を作成したものであることが洵に明白であるから(而して、記録を精査するも、原判決がその挙示する証拠によつて認めた原判示事実につき、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認もない)冒頭説示したところに照らし、被告人は、これが所為につき、刑法第百六十二条第一項所定の有価証券偽造の罪責を免かれ得ない。従つて、所論において、本件にいわゆる偽造の手形は、約束手形の記載要件たる宛名人を欠いたもので、本来約束手形としては無効であり、千葉県漁業協同組合連合会が前記中古衣料を取扱かうものであることの証しとして呈示せしむべく作成した単なる一個の事実証明書にすぎないのであるから有価証券偽造の罪の既遂と見ることはできない。たとえ、行使の目的があつたとするも、刑法第百六十二条第一項は未遂をも罰する趣旨ではないのであるから、原審が、被告人の所為につき、同条所定の有価証券偽造の罪に問擬したことは事実誤認乃至は法令の解釈を誤まるの過誤に出でた違法があるという趣旨の主張をしているが到底採用するに由なく、理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 大塚今比古 判事 河原徳治 判事 中野次雄)

弁護人安藤国次の控訴趣意

第一点原判決は事実誤認の違法あるか又は法律の解釈を誤りたる違法があるものと信ず。

即ち原判決は其の理由に於て「第一、昭和二十六年十一月二日頃東京都港区麻布霞町三番地吉野方で権限がないに拘らず行使の目的を以て……同会長名義の約束手形五通を夫々偽造し

第二、同年同月二十八日頃東京都中央区銀座一丁目二番地大都ビル内東京交易株式会社専務室で権限がないに拘らず行使の目的を以て……約束手形三通を夫々偽造したものである」と認定したものである。

然れども行使の目的とは価値の対価として転々流通する目的の為に作成するとの意識が存在しなければならぬと思料するのである。然るに本件手形作成行為は被告人に前敍の如き目的の為に作成せられたものでない事は原判決の引用したる被告人の検察官に対する供述調書中第十項「私は此の際会長名義で手形を出しても会長常任役員の個人保証の記載をしなければ完全な手形でないから問題になることもあるまいと考え仮手形を出すと云う事で吉野の申出を承諾してしまいました」との供述記載(記録一七五丁参照)及同調書第十一項「私は此前既に仮手形ということで承諾して居りましたし又其の時も手形は吉野が預つて担保権者に見せるだけで他に割引や譲渡しないとの約束をしたので其の申出を信用してしまいました」との供述記載(記録一七七丁表)並に公判廷に於ける被告人の供述「千葉漁連が品物をあつかうと云う事を相手に確認させる為に見せるだけの手形だからと云う事を云つたので出したのであります。その時相手が品物を出せばほん物の有効な手形にして貰うか品物が出なければ手形は返すと云いました」との供述記載(被告人質問調書参照)更に本件の手形は手形としての客観的要件を備へて居ないものである即ち手形行為は手形額面記載の金額の支払の意思表示である従つて何人に対する意思表示であるかを明白にする為手形法第七十五条第五号に於て「支払ヲ受ケ又ハ之ヲ受ケタル者ヲ指図スル者ノ名称」を絶対的記載要件とし次条の第七十六条に於て「前条ニ掲グル事項ノ何レカヲ欠ク証券ハ約束手形タルノ効力ヲ有セス」と明記しあることの法意は空欄を特に厳禁する所以のものは偶然の機会に取得したもの即ち取得原因なくして拾得或は窃取した者の主張を防止する為名宛人の記載及裏書の連続を絶対要件としたのである。従つて本件手形の如き名宛人が全く空欄にして何人に対する意思表示なるか不明なるが如き手形は手形としては全く形式的に成立して居ないのである。尤も名宛人が更に転々流通すべきことを予期して交付するが如き白地の場合には相手方との特約により空欄にすることあるべきも斯かる場合は特別の場合で本件の如きは支払の意思表示として発行したものでなく只相手方に見せるだけの為に発行したのであり相手方に対する支払の意思表示はして居ないのであるから手形としての効力は発生して居ない前記七十五条第五号には支払を受くる者を記載するか又は相手方が指図する者を記載することは絶対的要件であることは名宛人が更に裏書譲渡によつて転々移転する趣旨より観る時は名宛人よりのつながりによつて振出人の真の支払の意思表示として発行せられたものであることが首肯できるのであるから従つて名宛人を空欄にすることは法は厳禁し其の効力を有せずと明記して居るのである。左れば本件の如き手形は支払の意思なくして只見せるだけの為に空欄にしたのであるから云い換へれば千葉県漁連が取扱うと云う一個の事実証明文書に過ぎないのであるから形式的に手形として完成して居ないので従つて有価証券と見ることは出来ないのであるから偽造の既遂と観ることは出来ない。仮令行使の目的があつたとしても本条は未遂を罰する規定がないのであるから無罪の判決を言渡すべきものなるに事茲に出でざりしは事実誤認の違法あるか又は法律の解釈を誤つた違法があるものと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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